正直不動産!!

今回ご紹介するのは、山下智久さん主演のNHKドラマ「正直不動産」です。

原作は漫画なるのですが、漫画もドラマもどちらもとても面白いです。

「正直不動産」とは・・・

< 登坂不動産に努めているエース営業マン「長瀬財地」は嘘を厭わぬ口八丁で売り上げNo.1を叩きだす凄腕だった。だが、とある地鎮祭で石碑を壊して以来嘘が上手くつけなくなってしまったのです。千三つと言われる不動産業界で永瀬は正直営業を武器に、不動産の裏側を全部ぶっちゃけ、再び売り上げNo.1を目指していく >

さらっとですがこのようなお話です。

にしてもやはり不動産屋は信用出来ない、おそろしい所だ!と思いますよね💦

正直不動産に出てくるような悪い営業マンはなかなかいないと思います(^_^;)

「正直不動産」のオススメポイントは何かというと、悪い営業マンを正直営業マンがぶった切る所を見るのもスカッとしていいのですが、不動産の知識も得ることが出来るという点です。

漫画もドラマもとてもわかりやすく説明されています。

また2023年冬にはドラマのスペシャルも放送されるそうです。

不動産に興味のある方は、見てみてはいかがでしょうか?

おすすめです!!

不動産の歴史~賃貸という仕組み、仲介業・不動産会社の誕生!!編~

前回は、『不動産の歴史~土地は誰のもの?編~』を載せさせていただきました。

今回は、賃貸という仕組みがどの様に誕生し、不動産会社が出来たのかをみてみましょう。

奈良時代に入り、土地開拓の必要から「三世一身の法」や「墾田永年私財法」などが定められると貴族や豪族・有力寺社に所有権が分散されていきました。後に、この土地の奪い合いが過激化していき、戦国時代へと突入していくことになります。

江戸時代になり生活が安定すると土地や住まいに関する制度・慣習も固まっていきます。

商業が発達した江戸の人口は増加していく一方で、土地は武家・寺社が8割、庶民が2割という不公平な所有率になり、庶民は狭い土地に密着して暮らさなければなりませんでした。

そこで誕生したのが、「富裕層である商人が土地を所有し、庶民へ賃貸する」という仕組みです。

富裕層の商人は「長屋」(今でいう「賃貸物件」)を持ち、大家(江戸時代の「大家」は「オーナー」ではなく、管理を代行して請け負う「差配人(さしはいにん)」)を雇って庶民へ賃貸する商売を行っていました。

これが不動産業の始まりと言われています。

明治時代になると、国の改革によって「移動の自由」「職業選択の自由」が広まると、需要と供給の間に『仲介業』が生まれ、『不動産会社』にあたる業者が誕生します。

現在までに続く「不動産仲介」というスタイルはこの頃生まれたものです。

ちなみに『不動産』という言葉が生まれたのも明治時代で、法律制定の際にフランス民法から持ってこられた言葉だそうです。(実は誤訳だったとか?(^_^;))

不動産(土地・建物)と人というのは昔から深い付き合いがあったようです。

時代の流れと共に様々に広がっていく不動産業界、これからもどのように変わっていくのかとても楽しみです。

 

不動産の歴史 ~土地は誰のもの?編~

相続に深くかかわってくる不動産。不動産によって相続の手続きが難航したり、紛争が起こることもありますよね。
どうすれば、もっとスムーズに明るく円満に不動産を相続できるんかな?と考えてると、ふと、不動産っていつからどのような考え方から産まれたのかが気になり「不動産の歴史」を調べてみました。
まずは、~古代の土地の考え方~
古代の日本は「土地の所有権」を明確に定義する、法律のようなものはありません。土地を「所有するもの」というよりは「縄張り」「シマ」のように捉えていました。
645年に「大化の改新」がおこなわれ “公地公民(日本のすべての土地と人民は朝廷のものである)” という、考え方が取り入れられました。
土地を与えられた人たちは農地からの収穫物(米)を、現代の税金である「祖」として政府に納めるシステムがスタートしたのです。
このシステムを規定したのが「班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)」といいます。
公地公民は土地私有制を認めておらず、貸し与えられた人が亡くなると、土地は政府(当時は朝廷)に返却され “相続や売買” はできないものでした。
その後およそ80年後、奈良時代前期になり「三世一身法(さんぜいっしんのほう)」が発布され 、“三世代の私有” が認められるようになります。
さらに奈良時代中期には「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)」が発布、新しく開墾した耕地の永続的な所有が認められるようになったのです。
「墾田永年私財法」により公的に土地の私有が認められたので、貴族や寺社が財力を元手に土地の開墾をおこない、所有地の拡大を図るようになりました。
この時の土地は、年貢である米の徴収手段としての所有でしかありませんでした。これを「荘園(しょうえん)」と呼ばれています。
(一方、この時代の土地制度については新説があり、公地公民制は理念であり実質的に “土地は私有化” されていたという見方もあります。)」
しかしこの「荘園」は室町時代に弱体化し、戦国時代には消滅します。
次回は『不動産の歴史~賃貸という仕組み・不動産会社誕生!!編~』を投稿します。
お楽しみに 😀